| 賃貸に関する「日本」の実態を把握しよう ――住む権利(基本的人権)が守られていない国、日本 誰でも知っているように、憲法では「基本的人権の尊重」ということが謳われています。基本的人権のなかでも、生きる権利=生存権がもっとも重要なものですが、日本では、それすらも完全には守られていないのです。 現在の憲法を、「アメリカから押しつけられた憲法である」として、その「改正」を求める人たちもいますが、もっと重要なことは、憲法の理念を現実の社会の中で実現していくことだと思います。 それはさておき、生きるための基本は、衣食住がきちんと守られていることですが、日本では、衣食住のうち、「衣」以外は、きちんと守られているとは言えません。 例えば、遺伝子組換作物のような安全性が疑わしい作物が輸入されているのをはじめ、安全な食べ物を食べる権利が保証されているとは言いがたい状況です。 「住」の分野でも、他の先進各国が住生活を守るためのさまざまな仕組みを持っているのに対して、日本では、「家を建てるのは個人の責任」という考え方で、国としての責任を果たしてきたとは言えない状況です。 他の先進国と比較しながら、日本の住まい探しの事情を知ることは、21世紀の国際社会に生きる若者が、日本をもっと住みやすい国にしていくために、どこをどうしていけばよいかを考えるきっかけになるでしょう。 1.「国籍の差別」が許されている唯一の先進国、日本 私は、日ごろ、留学生の人たちが住まい探しのためにお店に現れると、少し憂鬱な気分になってしまいます。 それは、「外国人が嫌い」だということでは決してありません。それどころか、もっと外国人との交流が必要だと考えているのです。 私自身、学生時代の数度の放浪的な海外旅行をはじめ、その後に勤務した旅行会社においても、外国の人たちとの心の底からの交流で、何度も感激した経験をもっています。 外国の人たちとの心の交流が、平和な世界を築き上げる上で、非常に重要なことだと考えています。 にもかかわらず、「少し憂鬱な気分になってしまう」というのは、留学生の人たちに、彼らが希望した物件であっても、家主が一方的に「外国人はお断り」だと言ってしまえば、彼らはそこに住むことはできないからです。 日本では、留学生を受け入れるか否かは、家主の「さじ加減ひとつ」にかかっているのです。 その上、頼みの綱となるはずの、外国人の住まいを紹介してくれる不動産業者ですら全体の1割程度しかないという報告もあるのです。 実際、外国人の入居差別については、いくつかの裁判事例もありますが、「憲法や国際人権規約を守る義務があるのは国や自治体などの公共機関だけで、家主などの私人には適用されない」という冷たい判断がされているのです。 ところが、日本以外の先進国では、「外国人はお断り」というようなことは、憲法や国際人権規約などで禁止されており、それは公的機関だけでなく、家主などの場合にも適用されるという考え方が強いのです。 それは、明らかに「国籍による差別」だからです。場合によれば、刑法で処罰されてしまうのです。 日本以外の先進国では、「家賃を取って部屋を貸す」という場合でも、基本的な人権が尊重されるべきだと考えられています。従って、家主の都合で、勝手に「留学生はお断りします」などということは一切できないと考えられているのです。 2.劣悪な住宅でも賃貸にまわすことができる国、日本 日本では、設備が古く、狭く、日当たりが悪いような物件でも、家主が、「誰かに部屋を貸したい」と言えば、そのまま人に貸し出すことができます。 確かに、あまりにひどい物件では、家主に修繕の義務が発生するはずですが、修繕しなくても罰則があるわけではないので、それほど効果はありません。 それに対して、日本以外の先進国では、例えば、イギリスの「住宅監視員制度」のように、劣悪な賃貸住宅を発見すると、改善命令を出し、それでも改善しない場合には、自治体が買い取って改善したり、家主に代わって強制的に工事を行い、その費用を家主に請求したりして、劣悪な賃貸住宅をなくすような努力を行っています。 フランスやドイツにも、同じような劣悪な賃貸住宅をなくすためのさまざまな取り組みがあります。 確かに、パリなどの古くからの大都市には、「浴室どころかトイレさえない」というような、非常に古くからの賃貸住宅があり、かつ石造りのため、簡単には改造できないという問題がありました。 そこで、パリ郊外にはたくさんの新しい賃貸住宅団地が誕生しています。 これらの背景には、長年にわたる借主たちの社会的な運動の成果があるのです。 つまり、日本以外の先進国でも、政府が自発的に、劣悪な賃貸住宅をなくす努力をしたというよりも、市民の運動の成果で、住環境に関する基本的人権を勝ち取ったというべきでしょう。ここが日本との大きな違いかもしれません。 詳しくは、私が尊敬する神戸大名誉教授の早川和男先生の著作、『高校生が考えた「居住福祉」』(クリエイツかもがわ)、『住宅貧乏物語』(岩波新書)、『安心思想の住まい学』(三五館)などをぜひお読みください。 3.家主の横暴が黙認されている国、日本 「家主の勝手」はそれだけではありません。 家主の横暴が許されているのも、日本の現実です。 例えば、若い夫婦が契約しようとすると、「子供が生まれたら出て行ってもらう」というような条件を平気で出してくるのです。 若い夫婦であれば、子供が生まれるのは実に自然なことです。「子供が生まれたら出ていけ」というような規定は、法律上でも、「公序良俗に反する規定」として認められていません。 しかし、法律で認められていないという場合でも、契約の時点で、そのことを言おうものなら、「それなら契約できない」と言われるだけなのです。 つまり、現実には、法律の規定よりも、家主の考えひとつが優先されてしまうのです。 このような家主の横暴は他にもたくさんみられます。 一人暮らしするお年寄が、新たに賃貸住宅を契約しようとしても、なかなか契約できません。 家主が「寝たきりにでもなったらどうしよう」とか、「死んだらたいへんだ」とか考えるからですが、人に部屋を貸し出すことの責任はほとんど感じられません。 というよりも、国がそうした問題を放置してきたからです。 最近は、「高齢者の居住の安定確保に関する法律(平成13年4月6日公布 )」などにより、改善はされるようになりましたが、まだまだ不十分です。 従って、賃貸住宅に住むお年寄は、たとえ劣悪な住宅であっても、他に住み替えすることもできず、一方で、家主からの家賃の値上げ要求などにおびえながら生活しているケースが多いのが、先進国であるはずの日本の現実なのです。 4.家族と一緒に住む権利が考慮されない国、日本 この問題は、家主サイドの問題ではありません。 日本の企業社会が抱えている大問題です。 日本では、企業に就職すると、「転勤」というものがついて回ってくるのがふつうです。 その場合、家族と一緒に生活している住居から新しい異動先まで通勤できない場合、子供の転校問題などが発生するために、夫だけの「単身赴任」が当然のように行われています。 しかし、日本ほど、夫だけの単身赴任が行われている先進国は他にありません。 というよりも、単身赴任となってしまうような異動命令はめったに出されませんし、仮に出されたとしても、「単身赴任するくらいなら、家族と一緒に住める企業に転職する」というような人たちが多いのです。 いずれにしても、日本では、「家族と一緒に住む権利」が、企業社会の中では、まったくと言っていいほど考慮されていないのです。 「企業の中には憲法がない」というような言い方をする人もいますが、企業の中でも基本的人権は尊重されるべきですし、子供の心身の健全な成長には、家族が一緒に生活するというのも重要な要素であるという研究結果も出ています。 不況とリストラの嵐が吹く中では、単身赴任の拒否は、退職を意味することが多いでしょう。 企業の中には、「転勤させない」という条件で雇用するところも出てきていますが、「転勤可能」という条件の人よりも給与で差別しているところが多いのが現実です。他の先進国では、考えられないことでしょう。日本の企業の横暴と言わざるを得ません。 日本でも、「家族と一緒に住む権利」が実質的に保証される日が、早く来ることを祈るばかりです。 5.同じところに住みつづける権利が保障されない国、日本 ヒトという生物は、孤立して生きていくことができない動物です。 社会的な関係の中でしか生きていけないのです。 ヒトが安心して生きていくためには、社会的な関係が安定している必要があるのです。 それは、小さな場面でいえば、家族が仲良く暮らしている状態ですし、少し広くなれば、町内や学校という社会の中で自分の居場所が定まっているということでしょう。 基本的人権には、「住む自由=移動の自由」というものもあります。 それは、自分の好きなところに住むことができる権利が保障されているということですが、別の言い方をすれば、「移動したくなければ同じところに住む権利が保障されている」ということです。 ところが、日本では、「住む自由」が完全には保障されていないのです。 特に、問題となるのは、民間の賃貸住宅ではなく、公営住宅の問題です。 公営住宅は、自治体の社会福祉事業の一環として、「所得の少ない人たちに住居を提供する」ために建設されたものです。 この点で言えば、日本以外の他の先進国でも、同じような趣旨の住宅は日本以上にたくさん建設されています。 しかし、内容は日本とはまったくと言っていいほど異なっているのです。 日本の公営住宅には、「所得の上限」という制限があるのがふつうです。つまり、公営住宅に住む世帯の所得が増えて、上限を超えてしまうと、公営住宅から出て行かざるを得ないという問題があるのです。 そのため、「収入が増えるのを素直に喜べず、所得が増えた家庭では、追い出されないかビクビクしながら生活せざるを得ない」という問題が発生するのです。 公営住宅を追い出されてしまえば、それまでになじんだ地域から、まったくなじみのないところに移動せざるを得なくなってしまいます。つまり、「同じ地域に住みつづける権利」は、日本では、公営住宅でもまったく考慮されていないのです。 海外の事情を知らなければ、「公営住宅は低所得者のものだから、所得が増えてば出て行くのは当然だ」と考えてしまうかもしれません。 しかし、他の先進国では、もっと住民に暖かい配慮を行っているのです。 例えば、ヨーロッパ諸国では、「家賃の補助制度」が充実しています。 先に述べた住宅監視員制度などとともに、設備を整えた住宅には補助金をたくさん出すことで、家主によりよい住宅に改造するきっかけを与え、一方では、公営住宅では、所得に応じた家賃設定にしているのです。 従って、公営住宅の入居者は、収入が増えれば、家賃が徐々に高くなっていくだけで、同じ住宅にずっと住みつづけることができるようになっているのです。 企業の社長から、低所得者までがまったく同じ公営団地に住んでいるというようなケースもめずらしくないというのです。 日本では、「公営住宅に住んでいる」=「低所得者」という図式で、公営住宅に住む子供たちが差別的な扱いを受けたり、友達からいじめられたりすることもあります。 自分の住む地域に誇りがもてず、地域が次第に荒れ果てていくというスラム化と呼ばれる現象も発生することもありますが、日本以外の先進国では、民間住宅を買い上げた公営住宅もたくさんあるし、さまざまな階層の人たちが同じ公営住宅に住んでいるので、子供同士も仲良く暮らしていくことが可能なのです。 住宅確保を、「男の甲斐性」などとしてきた歴代政府の失策によって、いかに日本が住みにくい国になってしまったかがおわかりになったでしょう。 6.法律上の建前と実態との間に大きな差がある国、日本 よく知られているように、「本音と建前」という言葉があります。 社会生活を営む上では、ある程度の「本音と建前」の使い分けは仕方のないことだと思います。しかし、あまりにその差が大きすぎるのは問題です。 法律というものにはいろいろな種類のものがあります。部屋の賃貸借に関連する法律には、もっとも基本となる民法とそれを補完する借地借家法があります。 民法は、同じ立場にたつ市民間の契約関係などのルールを決めています。 しかし、部屋を貸す人と借りる人では、借りる人の立場のほうが弱くなりがちなので、両者を同じ立場と仮定した民法では、どうしても借りる人のほうが不利になり、いろいろな社会問題も発生します。 そこで、借りる人の立場を守る法律として、借地借家法が制定されています。 借地借家法では、賃借人保護に反するような、賃借人に一方的に不利な特約事項は無効であるとしています。 ところが、現実をみると、それらは、「裁判にでもなれば勝てる」というだけの効力しかないのです。 日本には、他の先進国にあるような、法律が実際に有効に機能しているかどうかを調査して、守られていなければ行政の権限で守らせるという仕組みがほとんどないのです。それどころか、借地借家法の建前を理由に、「定期借家制度」など、家主により有利な制度さえ誕生してきているのです。 どこの国の法律にも、「法律上の規定と現実の違い」はつきものでしょう。 中国のように、法律は変えなくても、時の権力者の「恣意的な解釈と運用」によって、その違いの大きすぎる国もあります。(例えば、一昔前、法律上では一切ポルノを解禁したわけでもないのに、街中にポルノ雑誌が氾濫し、行き過ぎたと見るや、編集者を銃殺刑にし、それ以降取締りを強化したために、それらがすっかり消えてしまいました。その間、法律はまったく変えていなかったということです『キーワードで読む現代中国』丹藤佳紀著、岩波書店、P14参照) しかし、先進国の中では、日本は、本音と建前の開きが最も大きい国でしょう。 7.自分の権利を守るために必要なこと 日本では、残念ながら、国が「住む権利」を守ってくれません。 自分の権利は自分で守るしかないのです。 では、具体的にどうすればよいのでしょうか? まずは、「権利を守るために必要な知識と情報を身につける」ということです。 そして、「権利」についてもっとも基本となるのは、「○○の権利の存在」を知ることからスタートします。 「○○の権利」というものがあるかどうかもわからなければ、それを守るとか主張するという発想そのものが出てくるはずはないからです。 「○○の権利の存在を知る」ということは、言いかえれば、「○○の権利が保証されることを主張できる」ということです。 しかし、いくら「主張できる」とはいっても、その主張に迫力がなければ、相手に通じません。 主張に迫力をつけるためには、その主張の内容が理路整然としていなければなりません。 そのために、アンテナを張り、必要となる知識や情報を収集しなければなりません。このホームページの閲覧も、そのひとつの手段になれば幸いです。 次に必要なことは、「言うべきことはきちんと言う(泣き寝入りしない)」ということです。 欧米では、「大人になる」ということは、自分の意見を持つということと、自分の意見を堂々と主張できるということを意味しています。 そのために、小中学校の頃から、ディベートなどと呼ばれる討論の訓練が行われています。 しかし、日本では、そのような訓練どころか、「あまり自分の主張を前面に出すのはよくない」というような教育のほうが優勢なのです。 子供の頃からずっと自分の主張を強く出すことをトレーニングしてきた欧米の人たちと、どちらかと言えば、それを抑えるようにしてきた日本人を比べれば、国際社会でどちらが有利かは明らかです。 いずれにしても、自分の権利を守るためには、そして、日本の社会をよりよくしていくためには、正しいと思うことは堂々と主張し、泣き寝入りしないということを心がけてほしいと思います。 しかし、いくら堂々と主張せよと言っても、一人ぼっちで主張していてもパワーは強くありません。 そのために、「同じ意見を持つ仲間をつくる」ということが重要な要素となってきます。 孤立してしまうと、その主張のパワーが出ないばかりか、気分も滅入ってきて、「長いものには巻かれよ」ということになってしまうかもしれないからです。 それでも、正しい主張が通らないことも少なくないでしょう。 正しい主張が通らないと言うよりも、権利が侵されたり、被害に遭ったりということもあるかもしれません。 そうなれば、「対抗手段を打つ」ということも考えなければならないでしょう。 対抗手段といっても、法治国家である以上、非合法の手段をとることはできません。 日本では、最後の対抗手段としては裁判制度などの訴訟手続きがあります。賃貸住宅の権利や被害に関するもので言えば、「少額訴訟手続」という制度が非常に役に立つ制度です。 もちろん、訴訟手続きなどは、いわば最後の手段です。これをお勧めするわけではありません。 しかし、自分の権利を守るために、訴訟手続きの一端を知っておくことは、非常に役に立つことなのです。 例えば、少額訴訟手続きの内容を覚えておく必要はないのです。ただ、「少額何とか……」という言葉があったということを覚えていれば、トラブルなどに遭遇した時に、詳しく調べることもできるでしょう。泣き寝入りしなくてもすむ確率は高くなるでしょう。 8.住む人に課せられる義務について 皆さんは、今まで「権利と義務」について学習してきたことでしょう。つまり、権利には、何らかの義務がつきまとうということです。 例えば、大人になれば、「参政権」という権利が生まれますが、一方で、「納税義務」も発生してきます。 同じように、「住む権利」がある反面、住む人には、いくつかの義務が課せられているのです。 まずは、住まいを、その指定された目的で使用する義務です。 通常、学生の住まいは「居住用」となっています。 つまり、事務所などとして使用することはできませんし、サークルなどのたまり場のようなものとして使用することもできないということです。 次に、「住んでいるときにかかる義務……善良なる管理者の注意義務」です。通称、「善管注意義務」と呼ばれているものです。 法律で定めている「注意義務」には、大きく分けて2つの義務があります。 ひとつは、今言った「善良なる管理者の注意義務」です。 これは、職業や社会的経済的な地位に応じて、一般的に要求されている特別な注意義務です。 例えば、お医者さんには、患者の生命を預かる以上、特別な注意義務が求められていますが、これもその一つです。 もう一つは、「自己の財産におけると(自己のためにすると)同一の注意義務」です。つまり、自分のものの管理と同じように注意していればよいという程度の注意義務です。 端的に言えば、善管注意義務というのは、「十分に注意して管理を行う義務」ということです。 賃貸住宅に住む場合には、自分の家以上に、十分に注意しながら管理をしてくださいということです。当然と言えば当然のことですが、きちんと覚えておいてください。 賃貸住宅には、もうひとつ、善管注意義務と並んで重要な義務に、「原状回復義務」というものがあります。 賃貸住宅では、この義務をめぐるトラブルがもっとも多いと思うので、しっかり押さえておいてください。 「原状回復義務」というのは、一般的に言えば、「現在の状態を、それが生じた以前の状態に戻す」ということです。 しかし、民法上のもともとの考え方では、賃借人が賃借物に取り付けたもの(エアコンなどの設備や壁に貼ったポスターなど)を取りはずして返却するだけの義務のことです。 国土交通省(旧建設省)では、「賃借人の居住・使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失・善管注意義務違反・その他通常の使用を超えるような使用による損耗等を復旧すること」としています。 しかし、原状回復義務についての多くの家主の解釈は違っています。つまり、「まっさらのような状態にして返せ」ということです。この解釈が間違っていることは明らかなのですが、実態としては、このような解釈がまかり通っているのです。 借主は、本来、故意(わざと)あるいは、きちんとした管理をせずに、過失(あやまって)傷つけたり、汚したりしなければ、「自然損耗(通常損耗)」や「経年変化」による傷や汚れについては一切責任を負わなくてもいいはずなのです。 「自然損耗(通常損耗)」というのは、借主が通常の生活をしていても発生してしまうような軽微な汚れや傷みのことです。畳が多少擦り切れたり、壁のクロスがある程度は汚れてきたりするのは当然のことであり、その分の修繕費用は家賃に含まれているはずだという考え方です。 「経年変化」は、どのような建物や設備類でも、時間の経過で汚れてきたり、色あせてきたりして、建物の価値が下がってしまうことです。経年変化は、誰も住まなくても起こってしまうのです。 従って、仮に、借主が負担すべき費用があったとしても、経年変化によって発生したはずの費用分については借主が負担しなくてもよいという考え方です。 たとえ、借主の負担でクロスの張替えを行う場合でも、前回のクロス張替えからの経過年数を考慮し、経過年数が長ければ経年変化が大きいので、全額を借主が負担するのではなく、経年変化分は家主が負担すべきだということです。 例えば、経年変化により6年に1度クロスの張替えを行う物件で、4年経過後に借主負担で張替えが必要となった場合、借主が負担すべきは(6−4)÷6=1/3、つまり、その費用の1/3を負担するだけでよいという解釈です。 ではなぜ、原状回復をめぐるトラブルが多いのでしょうか? その原因には、次のようなことが考えられます。 一つ目は、敷金返還が、原状回復にかかった費用を差し引いてから返還するという形になっていることです。 敷金をいくら返すのかというのは、家主と借主の双方で協議して決めるのではなく、実態としては、家主が一方的に決める権限を持ってしまっていることです。 二つ目は、原状回復についての解釈を家主が過大に解釈していることです。 借主の責任範囲をはるかに超えて、本来家主が負担すべき費用まで、すべてを借主に押しつけていることが多いことです。 三つ目は、管理会社が介在する場合、家主の依頼を受けた管理会社は、家主の「信頼」に応えるために、家主負担を減らそうとするからです。 管理契約を長く維持するために、借主の負担を増やすことで家主の負担を減らす「努力」を行っているのです。また、管理会社は、宅建業法に規制されないので、借主の保護を行う義務が課されていないのです。 四つ目は、入居を斡旋する不動産業者も、基本的には「家主の味方」だからです。 原状回復をめぐるトラブルが発生しても、家主にあまり強く抗議するのではなく、逆に、借主側を、「世の中の実態はそういうものだから……」などと説得することで、トラブルを「解決」しようとするからです。 五つ目は、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」がまだまだ浸透していないことです。 原状回復をめぐるトラブルが頻発し、「民事には介入しない」などと悠長なことを言っておけなくなり、建設省住宅局では、財団法人不動産適正取引推進機構と協力して、平成10年に、法律や判例に基づいて、家主や借主に偏ることのない費用負担基準として、非常に公正なガイドラインをまとめました。(その後、改訂されています) しかしながら、家主が圧倒的に有利な現状からすれば、そのガイドラインを自ら守ろうという人は少なく、借主の集まりである借地借家人組合などの力がまだまだ弱く、せっかくよいガイドラインが誕生していながら、なかなか守られていないのが現状です。 国が用意してくれているのは、ガイドライン、つまり、目安であり、家主や業者の横暴を規制する罰則が盛り込まれた法律ではないのです。 「権利と義務」は、大人になる上で、いつもついて回るものです。 そして、きちんと理解していないと、自分の権利も守れず、一方でいっさい守る必要もない義務だけ押しつけられてしまうという結果を招いてしまうのです。 |